カルロストシキ&オメガトライブ応援ブログ

私が高校生の頃、1986オメガトライブ・カルロストシキ&オメガトライブは全盛期を迎えていました。その後、オメガトライブ解散後、35歳にて歌手を引退したカルロスはブラジルに帰国し、ニンニク栽培に専念されていらっしゃいます。しかし2017年春、期間限定で来日しライブを行ったカルロス。レコーディングも行ったとの噂で、本格復帰が2018年・・・とささやかれる中、大ファンである私としては復活に向けてカルロストシキ&オメガトライブを応援しようとブログを立ち上げました。

2017年11月

皆様、こんばんは。

最近、本当に寒くなりましたね。
そんな中、カルロスさんの大阪ライブが2月に決まったようで、、、

行きたいけど、大阪遠くて行けないよぉぉぉ💦💦

、、、ということで、今回も前回の続きでございます。



初のTV出演は『おはようスタジオ』で「小鹿のバンビ」をア・カペラで歌
っていた。バンドデビュー後は「君は1000%」などのヒット曲を次々とリリース。歌番組においては、ステップを踏みながら歌う姿が特徴的であった。
1988年バンド名は「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改称。1991年にオメガトライブは解散、ソロ活動を開始する。1994年にシングル「FOREVER」発売を機に鷹橋敏輝と改名し独立。1995年にアルバム『Shake It Down』発売後、同年、鷹橋のCDに記載されている、INES MUSICA内、鷹橋敏輝ファンクラブ「Clocs Tie Club」の時間外限定のテレホンサービスにおいて、スタッフからカルロスの結婚が発表。その後、椎間板ヘルニアを患い、静養の為に帰国し、音楽活動を休止する。






この曲、私はあまり知らないです💦
ちょっとレアなのかしら。

ということで、この辺でカルロスの歴史も終了なんですが、最近、カルロスさんがインスタ始められたので、早速、承認して頂きました♬

ライブ楽しみですねー💘

どなたか、大阪のライブレポ、お待ちしてます!!

では、皆様、カルロスさんの応援、宜しくお願い致します☘

皆様、こんばんは。
いやー、今日は寒いですね!!

暖房も効かない事務所で仕事していると凍えてしまいそうでした。

さて、今回は前回に引き続き、カルロスの歴史でございます。



1982年に来日し、CARLOS名義でソロのシングル盤「ルシア」でデビューする。1985年、社長の急逝による所属事務所の廃業に伴い、インディーズとして活動するなか、音楽プロデューサーであり芸能事務所「トライアングルプロダクション」の経営者である藤田浩一にデモテープが届き、同事務所と契約。当初はソロでの活動を予定していたが、杉山清貴の脱退が決まっていたオメガトライブの後任ボーカルを探していた藤田はカルロスの歌声を聞き、有力候補としてレッスンを受けさせる。新生オメガトライブのボーカルとして内定し、さらにボイストレーニングに加え日本語の勉強なども施して、1986オメガトライブのデビューにいたった。



こうして新生オメガトライブとして、カルロスがボーカルとなり、1986オメガトライブが結成された訳ですね☘



ということで、カルロスさん、そろそろ本格的に日本での活動を再開するみたいですね。

2月に名古屋公演があるような呟きをツイッターで発見。

ただし、名古屋はちょっと私は行けないかな(T . T)

行かれた方、レポートお願いします!

ということで、皆様、カルロストシキ&オメガトライブの応援、宜しくお願いします💗

皆様、こんばんは。

先日はカルロス&オメガトライブの前身である、杉山清貴&オメガトライブの歴史について書かせて頂いたのですが、、、

では、何故杉山清貴さんがオメガトライブを辞めた後、カルロストシキ&オメガトライブになったのか、を今日は書こうと思います😊



ではカルロストシキは今?
ブラジル南部にあるパラナ州マリンガ出身。レストラン経営をする両親の元で育つ。幼少時代はアメリカンポップスから日本の歌謡曲まで幅広く聞いて過ごし、小学校時代はコーラス部に所属。9歳時にパラナ州歌謡大賞・童謡の部で優勝、ブラジル歌謡協会主催の全ブラジルに出場し16歳時に少年の部で優勝、17歳時に青年の部で西城秀樹の「ブルースカイブルー」を歌い優勝するなどの経歴を持ち、ブラジルの日系人社会では「歌のうまいトシキ」として有名であった。




ということで、ブラジルでも有名だったんですねー🎵


ちなみにこれは最後のアルバムになってしまった、Natsukoです。

でも、来年の春には復活するのかなー🎵
とっても楽しみにしています。

そして、まだまだオメガトライブの歴史は続く、、、

また続き、書きます!

皆様、応援して下さいね☘

皆様、こんばんは。

ブログには関係ないのですが、悲しいお知らせがあります。
私のフェイスブックのアカウントが二度目の乗っ取りに会いました⤵︎

皆様も気をつけて下さいね。とほほ。

さて、今回はオメガの歴史について、少し調べてみました。



杉山清貴&オメガトライブの前身となる「きゅうてぃぱんちょす」で第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場し、「GOSPELの夜」で入賞。ポプコン入賞後、メジャーデビューのオファーを受けながらもオリジナル楽曲の完成度に納得できず、誘いを断りデビューへの道を模索していた。後の所属事務所「トライアングル・プロダクション」(当時)の社長藤田浩一はポプコン入賞以降同バンドに注目しており、デビューの条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示、バンドはこれを受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と名を変え、『SUMMER SUSPICION』でレコードデビューした[1]。杉山清貴&オメガトライブ時代の曲では『君のハートはマリンブルー』『ふたりの夏物語 -NEVER ENDING
SUMMER-』などがある。
1985年オメガトライブ解散。翌年『さよならのオーシャン』でソロデビューし、20万枚のヒットとなる。

という、まだカルロス&オメガトライブの前身、杉山清貴さんの頃はこんな感じだったらしいですね。












杉山清貴&オメガトライブの前身となる「きゅうてぃぱんちょす」で第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場し、「GOSPELの夜」で入賞。ポプコン入賞後、メジャーデビューのオファーを受けながらもオリジナル楽曲の完成度に納得できず、誘いを断りデビューへの道を模索していた。後の所属事務所「トライアングル・プロダクション」(当時)の社長藤田浩一はポプコン入賞以降同バンドに注目しており、デビューの条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示、バンドはこれを受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と名を変え、『SUMMER SUSPICION』でレコードデビューした[1]。杉山清貴&オメガトライブ時代の曲では『君のハートはマリンブルー』『ふたりの夏物語 -NEVER ENDING
SUMMER-』などがある。
1985年オメガトライブ解散。翌年『さよならのオーシャン』でソロデビューし、20万枚のヒットとなる。




ということで、まだカルロス&オメガトライブの前身の杉山清貴さんの頃はこんな感じだったらしいですね。

その後、ボーカルが変わり、カルロスさんになるんですけど、さっきツイッター見たら、そろそろ活動に向けて準備されるとか

わぁ、楽しみだなーって思い、ワクワクです。



ということで、あまり有名ではないですが、この曲。でも、オメガの曲はいいですね。

早くライブ行きたいなー🎵

皆様も応援宜しくお願い致します😊

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